1: 2021/11/16(火) 15:19:37.97 ID:CAP_USER9
2021/11/16 15:02

広島東洋カープの監督として、3度の日本一を成し遂げた古葉竹識(こば・たけし)さんが12日に死去していたことが16日、分かった。85歳。熊本市出身。広島球団が同日発表した。

熊本・済々黌高、専修大、日鉄二瀬を経て、1958年に広島に入団し、俊足内野手として活躍した。70年に南海に移籍し、71年引退。広島のコーチを務めていた75年5月、急きょ帰国したジョー・ルーツ監督の後任として監督に就任すると、山本浩二、衣笠祥雄ら主力選手を軸に快進撃。球団創設26年目で初となるリーグ制覇に導いた。

79年はリーグ優勝を果たした後、日本シリーズで近鉄を破り、初の頂点に。80、84年も日本一に輝いた。高橋慶彦をスイッチヒッターに育てるなど、選手を強く叱ることも辞さない厳しい指導を徹底。目先の勝利ではなく、大局を見据えたチームづくりのモットーは「耐えて勝つ」。指揮を執った85年までの11年間で9度、Aクラスに入った。かつて弱小ぶりから球界のお荷物と言われた広島に黄金期をもたらした。


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1: 2021/11/16(火) 10:00:30.48 ID:CAP_USER9
11/16(火) 9:31
スポーツ報知
 
レッドソックスなどで内野手として活躍し、松坂大輔や岡島秀樹とともに2007年のワールドシリーズ制覇に貢献したJ・ルーゴさんが15日(日本時間16日)に死去したと、USAトゥデー(電子版)などが報じた。45歳だった。死因は心臓発作とみられる。

ドミニカ共和国出身のルーゴさんは、2000年4月にアストロズでメジャーデビュー。その後はデビルレイズ(現レイズ)やドジャース、Rソックスなどメジャー7球団で12年間にわたってプレーした。メジャー通算1352試合に出場し、通算打率2割6分9厘、80本塁打、475打点、198盗塁をマークした。


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1: 2021/11/15(月) 15:47:55.81 ID:CAP_USER9

「99%の誘拐」「クラインの壺」などで知られるコンビ推理作家「岡嶋二人」の徳山諄一(とくやま・じゅんいち)さんが今月8日、病気のため東京都内の自宅で死去した。78歳。東京都出身。葬儀・告別式は親族で行った。元相棒の井上夢人氏が14日、自身のツイッターで報告した。

井上は「ちょっと迷いましたが、僕がお報せすべきことと思い、ここに記します。1週間ほどになりますが、11月8日、岡嶋二人の片割れ徳山諄一(田奈純一)が他界いたしました。78歳でした。これはドラマ『珊瑚色ラプソディ』の原作者カットから抜き出したものです。相棒45歳の頃です」と2ショット写真を掲載。「元相棒について、たくさんの方たちからお悔やみや無念の言葉をいただきました。感謝いたします。これだけの方たちが声をかけてくれてるよ徳さん、と言ってあげたいです」とつづった。

「岡嶋二人」は井上泉と徳山さんによるコンビのペンネーム。由来は米劇作家ニール・サイモンの「おかしな二人」。1982年、「焦茶色のパステル」が第28回江戸川乱歩賞に輝き、デビュー。88年の「99%の誘拐」が翌年の第10回吉川英治文学新人賞。89年、「クラインの壺」刊行を最後に、コンビを解消。井上は92年、「井上夢人」としてソロデビューし、徳山さんも田奈純一名義で日本テレビ「マジカル頭脳パワー!!」の推理ドラマに参加するなどしていた。

85年、「チョコレートゲーム」は第39回日本推理作家協会賞長編賞。2005年には「99%の誘拐」が「この文庫本がすごい!」1位に輝いた。誘拐をテーマにした作品は高く評価され「人さらいの岡嶋」「誘拐の岡嶋」と呼ばれることもある。

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1: 2021/11/15(月) 10:40:55.63 ID:CAP_USER9
11/15(月) 10:18
スポニチアネックス
 
元早大ラグビー部監督で、日本代表監督、日本協会副会長や名誉会長などを歴任した日比野弘氏が、14日に亡くなっていたことが15日、関係者の話で分かった。享年86歳。日本ラグビー界に大きな足跡を残した巨星が逝った。

東京都出身の日比野氏は都立大泉高からラグビーを始め、早大では1年からレギュラーを獲得。卒業後は東横百貨店に入社し、日本代表でも通算3キャップを獲得するなど、現役時代は快足ウイングとして活躍した。その後は早大監督を4度、通算8年間務め、日本選手権を1回、大学選手権を3回、対抗戦を4回制覇。大東和美氏や故石塚武生氏、故宿沢広朗氏らあまたの名選手や名指導者を育て上げた。

日本代表監督も3度務め、SO松尾雄治主将、故平尾誠二氏らを擁した83年のウェールズ遠征では、同代表に24―29と善戦し、現地メディアでも「日本は簡単な相手ではない」などと驚きを持って報じられた。指導者として第一線から退いた後も、早大教授として一般学生を指導し、日本協会では11年W杯の招致委員会委員長としても活動。招致には失敗したが、19年大会の実現に多大な遺産を残した。

11年には日本ラグビーの歩み、記録をまとめた823ページに及ぶ大作「日本ラグビー全史」(ベースボール・マガジン社)を出版。ラグビーに生涯を捧げた。


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1: 2021/11/12(金) 23:05:36.19 ID:CAP_USER9

ムーディー・ブルースのドラマー、グレアム・エッジが死去
2021/11/12 10:43掲載 amass
https://amass.jp/152738/
Graeme Edge

ムーディー・ブルース(The Moody Blues)のドラマー、グレアム・エッジ(Graeme Edge)が死去。バンドのフロントマンであるジャスティン・ヘイワード(Justin Hayward)が明らかにしています。グレアムは80歳でした。

以下、ジャスティン・ヘイワードからの声明より

「とても悲しい日です。グレアムのサウンドとパーソナリティは、僕たちが一緒に行ったすべてのことに存在しており、ありがたいことにそれはこれからも続いていきます。

グレアムが引退すると言ったとき、彼なしではもうムーディー・ブルースではいられないと思いました。そして、その通りになりました。彼が長年にわたってグループと一緒にいたのは、彼がグループを愛していたからだと言っても過言ではありません。

1960年代後半、僕たちはグレアムが常に望んでいたグループになり、彼はドラマーであると同時に詩人であることを求められました。彼はそれを美しく見事に表現し、彼の言葉なしには音楽が達成できないような雰囲気や設定を作り出しました。ジェレミー・アイアンズには、僕たちの最後のツアーで再現してもらいましたが、まさに魔法のようでした。

グレアムと彼の両親は、僕がグループに参加したときにとても親切にしてくれました。最初の2年間は、彼と僕は一緒に住んでいたり、隣同士だったりしましたが、ほとんど共通点がなかったにもかかわらず、楽しくて笑いが絶えなかったし、おそらく人生で最高の音楽を作ることができました。

グレアムは音楽業界の偉大な人物の一人で、彼のような人物は二度と現れないでしょう。

ご家族に心から哀悼の意を表します。

ジャスティン・ヘイワード」

グレアム・エッジは1941年3月、スタフォードシャー州ロチェスター生まれ。間もなく家族とともにバーミンガムに引っ越す。1964年にレイ・トーマス、マイク・ピンダーらと一緒にムーディー・ブルースを結成した。代表曲は「Nights in White Satin」や「Tuesday Afternoon」など。彼らは2018年にロックの殿堂入りを果たした。

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